ある整形外科医のつぶやき

外来の診察室で思うこと

ワクチン躊躇と認知バイアス

若い人たちは、家族や友人がワクチンで予防可能な疾患にかかった経験がほとんどないか、自分は大丈夫と感じているかもしれません。

ワクチンの安全性・有効性に関する不正確な、致命的かもしれない大量の誤った情報がソーシャルメディアを通して広く拡散されています。これにより、人によってはワクチン接種を躊躇したり、懸念を示したり、あるいは接種に強く反対したりする可能性があります。

今回はこのワクチン躊躇に関して考えてみたいと思います。

総説
ワクチンをためらう瞬間
022 年 7 月 7 日 N Engl J Med 2022; 387:58-65
DOI: 10.1056/NEJMra2106441

 

ワクチンへの躊躇は新しい問題ではありませんが、その範囲と規模は拡大しています。ワクチンに関する高度な疑問とワクチン接種の受け入れへの抵抗は、ソーシャル メディア プラットフォームによって増幅されています。
ある研究家は、「インターネット上の反ワクチンのメッセージは、他のメディアよりもはるかに抑制されていません…. インターネットは、一般の人々がワクチン接種について情報に基づいていない決定を下す大きな可能性を表しています。」
「多くの人がオンラインで健康情報を検索し、見つかった情報が患者の意思決定に影響を与えます。したがって、オンラインで何が共有されているかを理解することが不可欠です…反ワクチン運動は、この環境を利用してメッセージを広めています。」
と主張します。

ワクチンに対する躊躇の動的で変化する性質を考えると (特に Covid-19 の状況では明らかです)、新たな懸念を早期に特定して対処するためには、ワクチンに関する会話をオープンかつ継続的に行うことが重要です。

医師やその他の医療提供者は、医療に関するアドバイスに関しては、依然として最も信頼できる人物の 1 人です。Wellcome Global Monitor が 140 か国の人々を調査したところ、回答者の 73% が医師や看護師を他の人よりも信頼すると答えたことがわかりました。高所得国ではその割合は 90% でした。ワクチンの受け入れは増加する可能性がありますが、医療提供者はサポートと励ましを提供し、患者の視点から重要なことに耳を傾ける必要があります。地域社会で循環している懸念の性質と範囲に関する情報を医師に提供することは、地域レベルでの適切な介入を知らせると同時に、診療​​所でそのような懸念に対処するのに役立ちます。

医療従事者がもっと患者さんに積極的に働きかけることが必要といっています。

筆者に関して言いますと、接している患者さんは、多くは高齢者ですでにワクチンの重要性を理解している方が多くおられます。

 

drhirochinn.work

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筆者は以前、ワクチン接種が進まない原因に関して、何回か記事を書かせていただきました。

ワクチン躊躇の原因に関して、マスコミの報道とSNSでの間違った情報の氾濫に加え、国民への真摯な情報公開に裏つ”けられた政府への信頼が乏しいことが主な原因であると筆者は思います。

このマスコミの報道とSNSから間違った認識を人々が得る過程を「認知バイアス」の観点から考えてみたいと思います。

思考の偏りや思い込みによって非合理的な判断をしてしまう現象を、心理学では「認知バイアス」と呼びます。

認知とは人の心の働き全般を指しています。心の働きはさまざまです。人は世界から情報を受け取り、それを知覚し、その中のいくつかに注意を向け、それが何であるかを認識し、記憶・学習します。そしてそこから何かを感じ、思考を働かせ、自分の考えを生み出します。そしてそれを言葉によって他者に伝え、なんらかの形で他者と共同することもあります。こうしたこと全てが認知です。

この偏りや歪みが認知バイアスです。

月刊保団連2022年09月号
認知バイアスとは何か
青山学院大学教授 鈴木 宏昭 

 

実は認知のほぼ全てにバイアスが存在している。それらを列挙すると以下のようになる。

知覚・注意:目の前に見えているものが見え
ない(変化盲)
記憶:思い出しやすいものはよく発生していると考えてしまう(利用可能性ヒューリスティック
概念カテゴリー化:少数のサンプルから過剰な一般化を行い、それに基づいて物事の判断を行う(代表性ヒューリスティック)
思考:自分が正しいと考えていることを確証してくれるものだけに注意を向ける(確証バイアス)
言語コミュニケーション:伝えやすいことに集中し、伝えにくいものを省いてしまう
共同:同調、分業(責任転嫁)、権威への服従により、不法行為を行う

 

私たちはすぐに思い出すことは頻繁に起きていると考える。このような思考法は、利用可能性ヒューリスティックと呼ばれる。しかし、逆は必ずしも真ならずなので(思い出しやすさは繰り返し以外の要因も関係するから)、正しい保証はないのだ。人類が狩猟採集で暮らしていた頃は、記憶の引き出しやすさから発生頻度を判断するのは合理的だったが、メディアが発達した現代では、それが誤作動することが多くなっている。

 

人工知能学会
認知バイアス・ヒューリスティック:意思決定科学から見る人間らしさ
本田秀仁(安田女子大学心理学部)

意思決定科学の分野では,ヒューリスティックという用語は判断や意思決定の際に人間が用いる経験則のことを指します。
例えば,知らない街でランチに行こうとする場合(しかも,たまたまスマホを忘れてしまい,食べログなどで調べることができない状況とします),店の混み具合から味の良し悪しを予想します(混んでいる店は美味しいのかな、と思いますし,逆に,ランチの時間であるにも関わらずガラガラだとそのお店の味は大丈夫なのか,と不安になったりします).このような経験則(”混んでいるお店は味がよいに違いない”)は大抵正しいのですが,時には系統的な誤りを生み出します。

ここで考えなければいけないのは,テレビ・新聞・インターネットをはじめとするメディアと私たちの思い出し易さの関係です.メディアがしばしば扱うようなことを私たちはきっと思い出し易くなるでしょう.もし,メディアが世の中で生じるている事柄について,頻度や確率に忠実な形で取り上げて伝えているのであれば,「思い出し易さ」に基づく頻度・確率判断はかなり正確になるのでしょう.しかしメディアの取り上げ方には偏りがあり,興味・関心を引くような内容はメディアに取り上げられやすいと考えられます。

マスコミやSNSの弊害の主因はこの認知バイアス・ヒューリスティックと思われます。

不確かな情報に翻弄される患者にどう対応するか
内科医 医学博士 酒井 健司
月刊保団連2022年09月号

ワクチンの害は過大に、効果は過小に評価してしまいがちな認知バイアスもワクチン躊躇の背景にあります。ワクチン接種後に起きた好ましくない出来事は、因果関係を問わず、有害事象として扱われます。定義上、有害事象の原因はワクチンとは限りませんが、接種後に有害事象が起きれば、ワクチンが原因だろうと考えてしまうのは自然な感情です。重篤な有害事象は注目されがちで、頻度としてはまれなものであってもマスコミで報道され、SNSでも共有されるでしょう。繰り返し重篤な有害事象の事例の情報に接することでワクチンの害を過大に見積もり、ワクチン接種をためらってしまうのもまた自然な感情です。

マスコミやSNSで繰り返しワクチンの有害事象を人々が見聞きすれば、利用可能性ヒューリスティックにより高頻度に起こることと思ってしまいます。一方ワクチンから得られる利益は実感しにくいものですから、結果的に「害は過大に、効果は過小」に評価することになります。

さらに酒井先生は、

こうしたバイアス以外にも、ワクチンに対する信頼性や正しい情報の不足がワクチン躊躇の原因になり得ます。これはわれわれ医療者の責任でもあります。全ての人はどのような医療を受けるかを自分で選ぶ権利があり、どんなに有効なワクチンであっても強制されてはなりません。ですが、ワクチンを受けるにせよ受けないにせよ、正確な情報を提供された上で選択は行われるべきです。医療者は市民と十分なコミュニケーションを取り、正確な情報の提供および意思決定を支援する責務があります。

患者が惑わされるのは知識が欠如しているせいであり、それを埋める正確な知識を提供すればよいと考えがちですが、それだけでは問題は解決しません。
不確かな医療情報に惑わされる背景には、単なる知識不足だけではなく、通常の医療に対する不安や不信があることが多いです。知識の欠如を埋めるだけでは全く不十分です。診療の基本は患者の訴えに耳を傾けることです。

診療において共感的なコミュニケーションは大きな価値があることは忘れてはいけません。かかりつけ医が気軽に質問に答えてくれるのなら、怪しい医療情報が氾濫するインターネット上のウェブサイトやSNSで情報を収集する必要がなくなります。

マスコミ・SNSの弊害や政府の信頼性は別にして、我々臨床医の役割の重大性を再確認させていただきました。