ある整形外科医のつぶやき

外来の診察室で思うこと

反アジア人種差別

f:id:hiro_chinn:20210926083201p:plain

 

最近こんな記事に出会いました。筆者の気持ちとかなり似ていますのでご紹介します。

大谷翔平、一死走者なしでも申告敬遠…MLBに反感抱くファンも 「明らかな人種差別だよな」「こんな臆病者の集まりだったなんて」
9/25(土) 14:56配信 中日スポーツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/3df76f50f4a089083c787a58d29db08ff86f76ba

大谷選手がホームランを量産していくシーズンの途中からマスコミ関係者やMLBのOB、選手から大谷をバッシングするコメントが時々聞こえていました。

当初から筆者は、そこに人種差別の可能性を感じ取っていました。

drhirochinn.work

drhirochinn.work

 

中日スポーツの記事中で、『 本拠地だけでなく、SNS上でも「直近3試合で15打席11四球はヤバすぎる」「大谷翔平に対して3試合で11四球とかMLBには失望しかない」などブーイングの嵐が吹き荒れた。
大谷が一塁に歩いた。ツイッターではさまざまな意見が殺到。「また一つ記録を。苦笑」「1アウトランナー無しでも申告敬遠かー。これはアジア人にホームラン王取らせたくない明らかな人種差別だよな。3試合で11四球は異常だべ」「メジャーリーグって世界最高峰のリーグじゃなかったの? こんな臆病者の集まりだったなんて…」。』

最近の大谷に対する敬遠は、度が過ぎています。人種差別を疑いたくなります。

こんな記事もあります。

大谷翔平リーグ首位15敬遠の深層…「日本人ホームラン王」を望まないアメリカ人と中南米選手の本音
9/24(金) 17:06配信 日刊ゲンダイDIGITAL
https://news.yahoo.co.jp/articles/0ec436d121b27012463aab6ed66b8c54ee9897a4?page=1

 

実際にタイトルを争っているのは日本人の大谷と、ドミニカ共和国とカナダの二重国籍を持つゲレロ、ベネズエラと米国の二重国籍のペレスの3人だ。
米国にとって特別な意味を持つ本塁打王のタイトルは本来、米国人が獲得すれば丸く収まるのかもしれないが、今回はそうもいかない。ならば日本以上に親しみのある中南米勢が獲得した方が“カド”は立たない。結果として米国人気質と中南米勢が大谷のタイトル取りの障害になる可能性もあるということだ。前出のビリー・デービス氏がこう言う。
「メジャーの投手のほとんどは、米国か中南米の出身者です。中でも中南米出身者は仲間意識が強いし、ロッカールームでも固まってスペイン語で話をします。カナダ生まれのゲレロは父親がドミニカ人で、今もインタビューには必ずスペイン語の通訳が付くほど。実質的には中南米出身の選手です。ペレスはベネズエラ出身の捕手で、31歳という年齢から言っても中南米選手のボス的存在です。特に中南米の投手は大谷より、ゲレロかペレスが本塁打のタイトルを取った方がうれしいでしょうね」

大谷の対戦相手のピッチャーも中南米出身者が多くいます。心情的に半ば故意に絶好球を、ゲレロやペレスに投じたとしてもおかしくはありません。

 

医学界でもアジア系アメリカ人に対する、人種差別に対する論文があります。

 

2021年9月 24日
COVID-19の時代に反アジア人種差別と健康格差に立ち向かう
JAMAヘルスフォーラム。2021; 2(9):e212579。doi:10.1001 / jamahealthforum.2021.2579
https://jamanetwork.com/journals/jama-health-forum/fullarticle/2784490

 

要約して紹介させていただきます。

COVID-19パンデミックは、色のコミュニティに害を及ぼす長年の不平等を明らかにしました。
医学界もまた現代社会における構造的人種差別の永続化におけるその役割について不快な真実を考慮することを余儀なくされています。

“Chinese virus” or “kung flu”としてのSARS-CoV-2への言及は、アジア系アメリカ人が公の暴力と立法上の不正にさらされていた19世紀半ばから20世紀の “yellow peril” and “fu manchu” の原型を反映しています。

1882年の中国人排斥法と第二次世界大戦中の日本の強制収容を含みます。

2020年、ニューヨーク市警は反アジア人の暴力が395%増加したと報告し、これまでにStopAAPIHate連合(stopaapihate.org)は反アジア人のヘイトクライムと嫌がらせについて3800件以上の報告を受けています。

あまり認識されていないのは、COVID-19がアジア系アメリカ人のコミュニティにもたらした荒廃であり、アジア系アメリカ人の医療従事者やアジア系移民の飛び地内での致死率が高いことからも明らかです。

米国の歴史を通じてアジア系アメリカ人の消去と排除につながり、「不可視性」の感覚を永続させ、最終的にはアジア系アメリカ人コミュニティ内の健康転帰を悪化させてきました。

アジア系アメリカ人は生まれつきまたは帰化したにもかかわらず、本質的に外国人であるとラベル付けされています。
アメリカ人であるためには白人である必要があるという前提に根ざしており、アジア系アメリカ人のこの「他者化」は、彼らを一部ではなく、他とは一線を画しています。

医学では、この認識は、アジア系アメリカ人に焦点を当てた研究の優先順位が低いことに現れています。

医学的にアジア系アメリカ人は医学研究の対象となっていないし国からの研究費も微々たる額しか拠出されていません。

これとは別に、「モデルマイノリティ」の神話は、第二次世界大戦後の日系アメリカ人の勤勉さを称賛した1966年のニューヨークタイムズマガジンの記事「サクセスストーリー:日系アメリカ人のスタイル」にその起源をさかのぼります。現在、すべてのアジア系アメリカ人に広く適用されているこのステレオタイプは、アジア系アメリカ人が一様に十分な教育を受け、裕福で、健康であるという仮定を永続させます。
それでも、フィリピン人、インド人、日系アメリカ人は米国で最も高い収入を得ていますが、ビルマ人、モン族、ネパール人の移民を含む多くのグループは、全国の中央値収入よりはるかに少ない収入を得ています。

2018年の時点で、アジア系アメリカ人の所得の不平等は他の人種または民族グループの所得の不平等を上回っており、下流の健康への影響をさらに調査する必要があります。

 

研究における分解の欠如と遺伝的特殊性
中国系アメリカ人とベトナム系アメリカ人は、肝臓がんと胃がんによる不釣り合いに高い死亡率に直面していますが、フィリピン系アメリカ人とインド系アメリカ人は、乳がん関連の死亡で他のグループを上回っています。

 

臨床診療における文化的謙虚さ
病院も同様に、臨床医に文化的謙虚さに関する継続教育を提供し、通訳サービス、患者ナビゲーター、および読み取り可能な患者資料を介してアジア系アメリカ人患者との成功した文化交流を仲介するのに役立つように装備する必要があります。

米国食品医薬品局のガイドラインは治験の多様性を高めることを目的としていますが、アジア系アメリカ人の臨床試験への登録率が歴史的に低いことは、より包括的な治験デザインへの参加の障壁を特定する余地があることを示唆しています。

 

労働力の多様性
アジア系アメリカ人は医療業界において過小評価されているとは見なされていません。ただし、カンボジア人、モン族、ラオス人などの特定のサブグループは、かなり過小評価されています(aamc.org)。

アジア系アメリカ人はまた、専門分野全体の上級教員の間で過小評価されており、米国の医学生の20%以上を構成しているにもかかわらず、米国の学術医療センターの教授職の6%と議長の3%しか占めていません。

 

前進の道
反アジア人の暴力は、米国における伝統的人種差別の慢性的な病気の最新の症状にすぎません。
公衆衛生の危機として、人種差別への対応では、ヘルスケアの専門家は、アジア系アメリカ人-強調擁護、透明性、そしてすべての人のための思いやりなど、伝統的に不十分な少数民族、直面する特有の課題に近い注意を払う必要があります。

 

 

アジア系アメリカ人に対してその特殊性に十分注意を払いながら、研究対象においてや研究費、登用においてもほかのアメリカ人と同様に処遇していく必要があるといっています。

結局現在のアメリカにおいて、伝統的に根深い人種差別が厳然として存在しているということを医学会も認めているということだと思います。

しかもこれはアメリカ国籍を持っているアジア人に対する議論です。大谷のような場合は全くの外国人扱いでしょう。大谷は、通訳を介さず英語で話すべきといってたコメンテイターがいましたが、元をただせばこの人種差別に行きつくのだと思います。

日本にいる我々には想像もできないような過酷な人種差別の実態が、アメリカ社会にはあると思われます。

しかし当人たちがちょっとでもそれに言及したらそこでキャリアは終わります。ですから笑って過ごすしかありません。大谷がバッターボックスで最近よく見せる笑顔にはそういう意味合いが隠されていると思います。

大谷がもしタイトルを取れなかったらそれは、明らかに人種差別のせいであるというしかありません。

 

本日も本拠地マリナーズ戦があります。その前にこんなことを考えていました。

最後までお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。