ある整形外科医のつぶやき

外来の診察室で思うこと

幸せとは?

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筆者もようやく初老になり、子供たちにも各々子が生まれ、今現在3人の孫が元気に育っています。ありがたいことです。

たまに子供の家を訪れると、百年ぐらい慣れ親しんだペットのように飛んできて”じいじ”と叫んで抱きついてくれます。春風の中で天使たちにささやかれているような気持になり、抱きしめて100回ぐらいほっぺたにチューチューしたくなるほどです。目の中に入れても痛くないとはよく言ったもので、何をされても怒る気持ちにはさらさらなりません。おもちゃが欲しいといえば、どの子も持っていないような高価なものを買ってあげてしまいます。

これが人並みの”幸せ”なのだと実感しますが、この”幸せ”とはいったいなんなのでしょうか?

いわゆる幸福論というとアランやラッセルを思い浮かべますが、筆者的にはラッセルが好きです。少しご紹介します。

 

【人事部長の教養100冊】「幸福論」ラッセル
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バートランド・ラッセル(Bertrand Russell) 1872-1970
ウェールズ生まれの英国貴族。イギリスの首相を2度務めたジョン・ラッセルは祖父にあたります。哲学者、数学者、論理学者であり、政治活動家でもあります。
2歳の頃に母親を、4歳の頃に父親を失い、育ての親であった祖父母には厳格に育てられました。

幸福になるためには、まず不幸を避ける必要があります。

不幸の原因はなんなのでしょうか?

ラッセルは、不幸の原因は自己没頭であると言います。
自己没頭とは、自分にばかり気が向いてしまうことを指します。
ラッセルは不幸になりやすい3つのタイプの人間を紹介しています。

1)罪人
2)ナルシスト
3)誇大妄想狂
以上の3つです。

1) ここでいう罪人とは、日常的に自分を非難して罪の意識に取りつかれている人のことを指します。どうせ自分はダメなんだ。なんで自分はこんなに理想と違うんだろう。自分は価値がない人間だ。
このように日頃から思われている方は、罪人に当てはまるでしょう。

2)ナルシストとは、自分を賛美し、人からも賞賛されたいと願う習慣を本質としている人を指します。ある程度は必要ですが、度が過ぎるとそれは不幸に繋がるのです。
多くの人には自信がないから、周りからの「承認」を過度に欲しがってしまいます。
自信をつけるにはまず、自尊心を育てる必要があります。
そして、自尊心を育てるためには、自分の興味を刺激された活動を立派にやりとげる必要があると、ラッセルは言います。

3)誇大妄想狂とは、権力を求め、愛されるよりも恐れられることを望む人のことを指します。権力を求めることは悪いことではなく、正常な人間の要素です。しかし、これもまた度が過ぎると厄介です。

不幸をもたらす行動

不幸の原因をさらに深堀したラッセルは、3つの行動にたどり着きます。
1)競争
2)妬み
3)世評に対するおびえ

1)競争に勝つということは正しいモチベーションですが、度が過ぎた競争は不幸をもたらすのです。行き過ぎた競争の勝利は幸福のためには必要がない要素なのです。

2)妬みは人間の情念の中で、最も普遍的であり、かつ最も不幸なことです。この他者比較の思考をなくさない限り、妬みから逃げることはできません。妬みを捨てるためのポイントとして、ラッセルは不必要な謙遜を辞めるべきだと言っています。必要以上の謙遜は美徳でもなんでもなく、ただ自分を卑下しているだけなのです。自分を卑下し、周りと比べ、周囲の人間を妬み恨む、これが不幸のサイクルなのです。
比較の先に幸福は存在しません。

3)周囲の意見や雑音に対するおびえや恐れは、あなたを抑圧し成長の妨げとなります。これらの恐怖は、あなたが恐れれば恐れるほど、牙を向けてきます。
ではどうすれば、このおびえはなくなるのでしょうか?
それは、世評に無関心になることです。
世間の意見を参考にするあまり、自分の夢を捨てるべきではありません。

幸福をもたらすもの

1)趣味
単純な興味からくる、純粋な趣味が、あなたに幸福をもたらしてくれます。私心のない趣味は悲しみを癒す効果があります。なぜなら、自分の思考のチャンネルを瞬間的に変えることができるからです。
自分の趣味に没頭することで思考のベクトルを無理やり変え、悲しみに対策をしよう、ということです。

2)中庸
中庸とは、バランス感覚のことを指します。全ての物事において、幸福を得るためにはバランスが必要です。極端な姿勢は最終的に不幸をもたらすのです。
ラッセルが特に強調しているのが、努力とあきらめのバランスです。幸福は努力をしなければ得られません。しかし、誰もが努力をしたからといって幸福になれるわけではありません。幸福になるには、努力もあきらめも必要なのです。

ラッセルの主張をまとめると以下になります。
① 不幸の原因は自己没頭である
② 不幸なタイプの人間は、罪人・ナルシスト・誇大妄想狂に分類される
③ 不幸をもたらす行動には、競争・妬み・世評へのおそれがある
④ 周りの意見で自分の夢を放棄するべきではない、自分から湧き上がる衝動があなたを幸せに導く
⑤ 私欲のない趣味や中庸の精神は、幸福をもたらす

 

このラッセルの教えは筆者に多くの示唆を与えてくれます。不幸の原因や不幸をもたらす行動の教えは筆者に貴重な教訓を教えてくれました。

 

もうお一人、アランの幸福論も示唆に富んでいます。

【人事部長の教養100冊】「幸福論」アラン
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アラン(本名はエミール=オーギュスト・シャルティエ) 1868-1951

フランスの哲学教師。高校教師でありながら、教師職の合間を縫い、プロポ(哲学断章)と呼ばれる語録を、8年間、1日も欠かすことなく新聞社に送り続けた。全3,098編ある語録は、世界、人間、政治、宗教など、様々なテーマを扱っており、幸福に関する93編の語録を集めたのが本書。

「幸福になるための考え方」は以下のとおり。

1)人間は元来、悲観主義者である。自分も周囲も、何もしなければ不機嫌が横溢している。自ら意識して「幸福になろう!」と思わないと、一生そこから抜け出せない。

2)自分が不幸であることに不機嫌になってはいけない。不幸なだけでも十分なのに、不機嫌になることはそれに輪をかけて二重に不幸になる。そして人の不機嫌は周囲に伝播する。私たちは他人の不幸に耐えるに足る力を持っていない。二次災害である不機嫌は高度に制御すべきである。

3)金持ちだからといって幸せになれるわけではない。金持ちは時間を持て余し、病気・老衰・死などの余計なことを考えて、結局不幸になる。或いは賭け事や観劇など、ロクでもないことで退屈を凌ぐのだ。

4)人は幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ。笑顔は周囲の不機嫌を解消させる。誰でも、不機嫌になったり、かっとなったりしたことを恥じるからだ。礼儀正しいとは、全ての身振り、全ての言葉によって「苛立つまい、人生のこの瞬間を台無しにすまい」と口に出して言うか、表情で示すかすることである。

1)悲観主義は気分、楽観主義は意志。悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。およそ成り行きに任せる人間は、気分が滅入りがちなものだ。やがて苛立ち、憤怒にかられる。
「物事の捉え方は自分次第」「苦しみの原因は客観的事実ではなく、主観的解釈」ということを意味している。

2)不機嫌な時、体の調子が悪い時は、しかめっ面になりがちである。せめて笑顔が作れれば、自分の感情もコントロールできるし、周囲にも威圧感を与えない。

3)小人閑居して不善を為す【『大学』(四書五経の一つ)】。人は退屈なので、それから逃れるために、心配したり怒ったりする。もし彼が朝から晩まで働いていたら、これほど退屈しなかったに相違ない。だから金持ちは退屈するし、ロクなことをしない。

まずは自分が微笑む;相手が不機嫌だろうが不愉快だろうが、こちらは微笑みから始めるべきだ。それが相手の態度を変える。
上機嫌を振りまく;あなたは親切な言葉、感謝の言葉を言うことだ。冷淡な馬鹿者に対しても親切にすることだ。上機嫌の波はあなたの周囲に広がり、周囲の者の態度も変わるだろう。

 

人間はそもそも悲観的であり、そこから抜け出すには一日暇なく働き、常に微笑んでいるべきと説いています。

 

人生は楽しいことだけではありません。むしろ困難や苦痛などのネガティブなことばかりが一塊になって前方からぶち当たってくるような毎日であることが多いと実感します。

”幸福論”とは、単に哲学・文学・宗教の範疇に収まるだけのものではなく、我々が実社会を生きていくうえでの生き方やより楽しく生活していくための実践的な方法論なのだと思います。

 

今回も最後までお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。

 

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