ある整形外科医のつぶやき

外来の診察室で思うこと

原爆投下

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現在や将来の、あるべき日本の国際関係を把握・展望するためには、どうしても過去、特に大東亜戦争前・中・後の真実を理解しなくてはなりません。

我々が今まで学校教育で習ってきた日本の戦前・戦中の歴史は、 G H Q 占領政策の一環として戦勝国側の理屈の押し付けであった可能性があります。例えば「原子爆弾投下は、さらなる市民・軍人の犠牲を回避するためにやむを得なかった。」という論法がまことしやかに、あたかも正当であるかのように戦勝国側によって主張され、我々日本人もそう思い込まされています。

広島市への原子爆弾投下は、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月6日(月曜日)午前8時15分47秒、アメリカ合衆国が大日本帝国の広島市に対して世界で初めて原子爆弾「リトルボーイ」を実戦使用した出来事です。
これは、人類史上初の都市に対する核攻撃であり、この核攻撃により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万 - 16万6千人が被爆から2 - 4か月以内に死亡したとされています。
長崎市への原子爆弾投下は、1945年(昭和20年)8月9日(木曜日)午前11時02分に、アメリカ軍が日本の長崎県長崎市に対して原子爆弾「ファットマン」を投下した出来事であり、この原子爆弾が人類史上において2回目かつ実戦で使用された最後の核兵器です。
原爆の投下により、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊しました。

この甚大な被害をもたらした原爆投下が、果たして本当に必要だったのでしょうか?

 

1932年から日米開戦のときまで10年間駐日大使を務め、戦争末期には国務長官代理を務めたジョセフ・グルーは、トルーマン大統領がグルーの勧告どおりに、皇室維持条項を含む最後通告を1945年5月の段階で発していたなら、日本は6月か7月に降伏していたので原爆投下は必要なかったと述べています。(1)

有馬哲夫によると、「トルーマン大統領とバーンズ国務長官が、無警告で都市への原爆投下を強行した理由は、人種的偏見と真珠湾攻撃に対する懲罰と、原爆をもっとも国際社会(とりわけソ連)に衝撃を与える大量殺戮兵器として使用することで、戦後の世界政治を牛耳ろうという野心である。」と述べています。(2)

豊田利幸は「世界大戦後の世界覇権を狙うアメリカが、原子爆弾を実戦使用することによりその国力・軍事力を世界に誇示する戦略であったとする説や、併せてその放射線障害の人体実験を行うためであったという説、更にはアメリカ軍が主導で仕組んだ説があり、広島にはウラン型(リトルボーイ)、長崎へはプルトニウム型(ファットマン)とそれぞれ違うタイプの原子爆弾が使用された。」と述べています。(3)

 

ドワイト・アイゼンハワー(欧州での連合国軍総司令官、アメリカ合衆国第34代大統領)

「原爆投下は、米国兵士の命を救うためには全く必要のないものだった。我々は日本に原爆を投下する必要はなかった。」

 

ダグラス・マッカーサー(連合国軍総司令官)

「日本がソ連に和平仲介を頼んだと知った1945年6月、私は参謀達に、戦争は終わりだ、と告げた。ところがワシントンのトルーマン政権は突如日本に原爆を投下した。私は投下のニュースを聞いたとき激怒した。」

 

カーティス・E・ルメイ⦅アメリカ陸軍航空軍少将(のち空軍参謀総長)⦆

「ロシアの参戦と原爆がなくとも、戦争は二週間で終わっていただろう(…中略…)原子爆弾は戦争の終結とは何ら関係がなかった」

 

レオ・シラード(マンハッタン計画参画の科学者)

「ドイツがアメリカに原爆を落としたとしましょう。その後ドイツが戦争に負けたとします。その場合我々アメリカ国民の誰が”原爆投下を戦争犯罪とし、首謀者を極刑に処す”ことに異議を唱えるでしょうか?原爆投下は外交的にも人道的にも人類史上最悪の失敗だったのです。」

 

ウイリアム・ダニエル・リーヒ(アメリカ海軍提督、大統領主席補佐官)

「日本上空の偵察で米軍は、日本に戦争継続能力がないことを知っていた。また天皇の地位保全さえ認めれば、実際原爆投下後もアメリカはそれを認めたのだが、日本は降伏する用意があることも知っていた。だがトルーマン大統領はそれを知っていながら無視した。ソ連に和平仲介を日本が依頼したことも彼は無視した。この野蛮な爆弾を日本に投下したことは、なんの意味を持たなかった。海上封鎖は十分な効果を挙げていた。この新兵器を爆弾、と呼ぶことは誤りである。これは爆弾でもなければ爆発物でもない。これは”毒物”である。恐ろしい放射能による被害が、爆発による殺傷力をはるかに超えたものなのだ。アメリカは原爆を投下したことで、中世の虐殺にまみれた暗黒時代の倫理基準を採用したことになる。私はこのような戦い方を訓練されていないし、女子供を虐殺して戦争に勝ったということはできない!」(4)

当時の日本の戦闘能力を、アメリカは正確に把握していたのです。敢えて終戦を早めるための原爆投下は、必要なかったというのが真実のようです。

 

1945年7月に国務長官となったジェームズ・F・バーンズは、天皇制の護持が受け入れられれば日本には終戦交渉の余地があるとするジョセフ・グルー国務次官ら三人委員会とは正反対の路線であり、三人委員会の提言を独断で黙殺して東ヨーロッパで覇権を強めるソ連を牽制するために、日本に対する原爆攻撃を支持し、原爆の使用を強く大統領に進言しました。バーンズは原爆の力を使えば、ソ連に加勢してもらわなくても本土上陸作戦の前に日本を降伏させることができると考えたのです。(5)

 

結局原爆投下は、ルーズベルト大統領の遺志を継いだトルーマン大統領と国務長官のバーンズが主導して、指示した結果なのだということが分かりました。

 

東京裁判の弁護人となり、東郷茂徳・梅津美治郎両被告を担当したベン・ブルース・ブレイクニーは、「キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか」と東京裁判の法廷で発言しています。(6)

 

極東国際軍事裁判(東京裁判)において連合国が派遣した判事の一人であるラダ・ビノード・パールは、ホロコーストと原爆投下に関して、「(米国の)原爆使用を決定した政策こそがホロコーストに唯一比例する行為」と論じ、米国による原爆投下こそが、国家による非戦闘員の生命財産の無差別破壊としてナチスによるホロコーストに比せる唯一のものであるとした。また、戦争の遠因となった人種差別問題の観点に触れつつ、「最初の原子爆弾の実験台として、決して彼ら(米英)は白人国を選ぶようなことはしなかったであろう」と述べています。(7)

またパールは1952年11月、広島市を訪問し、講演「世界に告ぐ」で『いったいあの場合、アメリカは原子爆弾を投ずべき何の理由があっただろうか。日本はすでに降伏すべき用意ができておった」「これを投下したところの国(アメリカ)から、真実味のある、心からの懺悔の言葉をいまだに聞いたことがない」、連合国側の「幾千人かの白人の軍隊を犠牲にしないため」という言い分に対しては「その代償として、罪のないところの老人や、子供や、婦人を、あるいは一般の平和的生活をいとなむ市民を、幾万人、幾十万人、殺してもいいというのだろうか」「われわれはこうした手合と、ふたたび人道や平和について語り合いたくはない」』として、極めて強く原爆投下を批判しました。(4)

 

日本人に対する原爆投下は、ナチスドイツのホロコーストと全く同じであると、強く非難しておられます。

 

筆者の意見も全く同じです。

一瞬にして数十万人にも及ぶ一般市民の命を奪いその後も何十年にもわたり、世代を超えて苦しみを与え続ける原爆の悲惨さは、ナチスドイツのホロコーストと比べて何ら遜色ありません。

しかもこの原爆投下は、戦略上全く必要なかったということがわかっており、東京裁判で戦犯として日本人を裁くのであれば、この原爆投下を直接命じ、あるいは中心となって加担した米国人も同様に裁かれなければなりません。

筆者は右翼でも NATIONALIST でもありませんが、自分なりに過去の歴史を調べてみて、一般的に言われていることが如何に恣意的・無作為的に形成されたものかということがよくわかりました。

我々は幸い、特定の政治体制下の制限された情報社会に住んでいるわけではなく、意思があれば様々な情報を得ることができます。

少なくとも過去に起き、現在起きつつあることに対して、自分なりの意見を持ち、それを今後の社会行動に反映させていくことが、将来の日本社会にとって非常に大切な事なのだと強く思いました。

 

最後までお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。

 

 

 

参考文献

1) 有馬哲夫『歴史とプロパガンダ』PHP研究所2015年、pp.99-100

2) 有馬哲夫『原爆 私たちは何も知らなかった』新潮社2018年、pp.106-126

3) 豊田利幸「新・核戦略批判」岩波新書、1983年、14頁

4)日本への原子爆弾投下 ウィキペディア(Wikipedia)

5)ハリー・S・トルーマン ウィキペディア(Wikipedia)

6)ベン・ブルース・ブレイクニー ウィキペディア(Wikipedia)

7)水間政憲 『ひと目でわかる「アジア解放」時代の日本精神』 PHP研究所、2013年8月。ISBN 978-4569813899。

 

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