ある整形外科医のつぶやき

外来の診察室で思うこと

引揚者

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去る8月15日は、76回目の終戦記念日でした。大東亜戦争(太平洋戦争)について我々が得てきた知識は、もしかすると戦勝国側の理屈で作られた歴史かもしれません。筆者の父母と同時代に生きた日本人は、まさに戦争に翻弄されながら自身や家族のために懸命に生きてこられたものと思います。

先の大戦やその後の日本史は、多分に戦勝国の理屈や都合で作られているように思えます。日本から見て侵略戦争なのか自衛のための戦争なのか、いまだに論争が続いていると理解しています。

戦争自体は確かに不意打ちの真珠湾攻撃で始まり、広島・長崎の原爆投下で終了しています。しかし軍人・軍施設対象の攻撃と一般民間人を狙った大量殺りくでは意味合いが全く異なります。また先の戦争の評価・反省も国によって、立場によって大きく異なりますが、一つ言えるのは、何が起こったのか正確に事実を把握・記録・伝承していく責任が我々にはあるのだということです。

 

「引揚者」という言葉があります。

引揚者とは、1945年(昭和20年)8月15日に日本が大東亜戦争(太平洋戦争および日中戦争)で連合国に降伏したことを受け、日本の外地・占領地または内地のソ連軍被占領地に居住ないし移住していた民間の日本人のうち、日本の本土(内地)へ帰還(引き揚げ)した方々を指します。
敗戦時点で海外に在住する日本人は軍人・民間人の総計で660万人以上に上り、引揚げした日本人は1946年末までに500万人にのぼりました。しかし、残留日本人の詳細な数や実態については現在も不明です。

 

1945年4月5日、ソ連は日本に対し日ソ中立条約(1941年4月13日)の破棄を通告しました。この通告により、日ソ中立条約は1946年4月25日に失効することとなり、ソ連は、1945年8月9日、日本に対して宣戦布告を行い、8月から9月初めにかけて択捉島、国後島、色丹島及び歯舞諸島を占領しました。
1945年(昭和20年)8月9日から樺太、満州、朝鮮半島へのソ連侵攻がはじまり、1945年8月15日のポツダム宣言受諾により日本軍が武装解除した終戦の日以後もソ連軍は進攻を続けました。この樺太侵攻においては8月22日に樺太からの引揚船小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸などを国籍不明の潜水艦が攻撃し沈没、1700名以上が死亡した三船殉難事件が発生しました。

 

bunshun.jp

日本のノンフィクション作家、ルポライターである早坂 隆氏が、この悲劇を書いておられます。

1992年に拓殖大学の秦郁彦教授が調査した結果、ソ連太平洋艦隊に所属する潜水艦による攻撃であったことが確認されたとのことです。

https://www.wikiwand.com/ja/%E5%BC%95%E6%8F%9A%E8%80%85

引揚者

また、ソ連軍占領下の地域では、ソ連兵や中国共産党軍、朝鮮人民義勇軍や朝鮮保安隊、および暴徒化した現地住民の朝鮮人による日本人住民への暴虐行為や拉致がありました。

米田建三氏は、『婦女子の強姦は有史以来、戦争には付き物とされるも、先の大戦での満州・朝鮮における日本人婦女子の強姦は度を越して凄まじいものであった。朝鮮人・朝鮮保安隊のレイプは残虐を極め、強姦・婦人の要求は「報い」として甘受できる被害とはとうてい言えるものではなく、ベルリン等ドイツ全土では200万人のドイツ女性がレイプされたと推定されるが、朝鮮人、朝鮮人の保安隊に犯される様はベルリン同様。』と述べています。
ソ連兵は規律が緩く、占領地で強姦・殺傷・略奪行為を繰り返したため、戦後の日本において対ソ感情を悪化させる一因となりました。朝鮮人も朝鮮半島でソ連兵と同様の行為をおこなったと言われており、強姦により妊娠した引揚者の女性を治療した二日市保養所の記録では、相手の男性は朝鮮人28人、ソ連人8人、中国人6人、アメリカ人3人、台湾人フィリピン人各1人となっているそうです。

 

また、1945年6月時点で在満朝鮮人人口は2,163,115人とされ、また実際には230万人いたともいわれます。終戦後、在満朝鮮人は引き揚げを開始し、1946年まで714,842人が、1947年までには80万人以上が朝鮮へ帰還しました。彼らの中には日本人の共犯として虐殺された人も数多くいるとのことです。

 

また、満州国政府には多くの台湾人が官吏として採用されていたため(新京市長は台湾人)彼らの台湾引き揚げも問題となりましたが、そのことは日本では殆ど語られていないようです。

 

ここに書かれたものは引揚者の一部です。

生きていれば思いを人に伝えることができますが、亡くなった方たちには、ご自身が負った耐え難い痛みや苦悩を、ささやかでも主張することすらできません。この方たちを思い出すのが終戦記念日だけということがあっていいはずがありません。

 

敗戦したという虚無感や国民の信に沿えなかったといううしろめたさ。多くの戦友を失って自分だけ生き残ったという自責の念から多くを語らなかった旧日本兵の方たち。

彼らに代わって、次の世代に戦争の事実を伝えていく責任が、我々にはあります。

 

戦争や引揚者などに関して、筆者がほとんど何も知らなかったということが、恥ずかしくて仕方ありません。過去の事実を正確に調べなおして、これからの隣国との関係を考えていくべきであろうと筆者は考えます。

 

 

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