ある整形外科医のつぶやき

外来の診察室で思うこと

パール判事とブレイクニー弁護士

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drhirochinn.work

この記事の中で、筆者は原子爆弾投下の非人道性・残虐性を主張し、投下の必要性が全くなかったことを確認しました。

 

www.sankei.com

この中で、

『 わが国を占領した連合国軍総司令部(GHQ)は自分たちの戦争犯罪を隠し、逆に日本人の心に戦争に対する罪悪感を植え付けるための情報宣伝計画「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」や、徹底した検閲、焚書(書物の没収)を行いました。大東亜戦争という言葉は禁じられ、「太平洋戦争」に書き換えられました。
降伏文書の調印からわずか9日後の9月11日、GHQは「戦争犯罪人」の逮捕を開始。翌1946(昭和21)年4月29日、元首相の東条英機ら28人が「A級戦犯」として起訴されました。4月29日とは昭和天皇の誕生日。この日に合わせた嫌がらせです。
5月3日に開廷した極東国際軍事裁判(東京裁判)は、裁判とは名ばかりの復讐劇で、裁くための法的根拠がない上、被告たちは「平和に対する罪」「人道に対する罪」という後から作った罪に問われました。裁判官は全員戦勝国かその植民地の人間で占められていました。
スペインの侵略者ピサロがインカの王アタワルパを殺した「裁判」と変わりません。』

 

この記事の通り、野蛮な復讐劇だった東京裁判で、信念を貫いた二人がいました。

陸軍少佐ベン・ブルース・ブレイクニー弁護人とラダ・ビノード・パール判事です。

ベン・ブルース・ブレイクニー(Ben Bruce Blakeney, 1908年 - 1963年3月4日)は、

1946年5月14日に法廷にて、「戦争は犯罪ではない。戦争法規があることが戦争の合法性を示す証拠である。戦争の開始、通告、戦闘の方法、終結を決める法規も戦争自体が非合法なら全く無意味である。国際法は、国家利益追及の為に行う戦争をこれまでに非合法と見做したことはない」

「歴史を振り返ってみても、戦争の計画、遂行が法廷において犯罪として裁かれた例はない。我々は、この裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負を承知している。しかし、そういう試みこそが新しくより高い法の実現を妨げるのではないか。“平和に対する罪”と名付けられた訴因は、故に当法廷より却下されねばならない」

「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りである。何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪ではない。戦争が合法的だからである。つまり合法的人殺しである殺人行為の正当化である。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。

(以下の発言が始まると、チャーターで定められている筈の同時通訳が停止し、日本語の速記録にもこの部分のみ「以下、通訳なし」としか記載されなかった)

キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか」

と発言しました。

 

またパール判事の裁判における判決書は、英文で1275ページに及ぶ膨大なものであり、全7部で構成されています。
一部では、裁判官が戦勝国出身者のみで構成されている事の適切性、侵略戦争の責任を個人に求めることの妥当性を疑問視し、
二部では、侵略戦争と自衛戦争の区別。この中でパールは、日本の戦争を一方的な侵略戦争とは断定できないとしています。
五部では、裁判の管轄権。この中では真珠湾攻撃以前の案件を扱うことは事後法となり、管轄権を侵害しているとしています。
六部では、厳密な意味での戦争犯罪の検討。この中では、非戦闘員の生命財産の侵害が戦争犯罪となるならば、日本への原子爆弾投下を決定した者こそを裁くべきであろうとしています。
七部では、この部分はパールが裁判に対して行った勧告です。この中で全被告人は無罪であるとしています。

原爆投下に対して、「(米国の)原爆使用を決定した政策こそがホロコーストに唯一比例する行為」と論じ、米国による原爆投下こそが、国家による非戦闘員の生命財産の無差別破壊としてナチスによるホロコーストに比せる唯一のものであるとしました。
また、「時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また、理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、そのときこそ、正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう。」とも述べています。

 

このパール判事の信念は、のちの安部元首相のインド国会における総理大臣演説につながっています。

 

www.mofa.go.jp

 

この演説は、日本国内では何故かほとんど報道されませんでした。しかし日印の経済・防衛上の協調を強力に推し進めてくれる内容で、詩的ですらありました。

日本の首相のスピーチとして、最高に評価できるものの一つであったと思います。

このスピーチの中で言及しています。

「 明日私は、朝の便でコルカタへ向かいます。ラダビノード・パール(Radhabinod Pal)判事のご子息に、お目にかかることとなるでしょう。極東国際軍事裁判で気高い勇気を示されたパール判事は、たくさんの日本人から今も変わらぬ尊敬を集めているのです。」

この後、安部元首相は、パール判事の長男プロシャント・パール(Prashanto Pal)氏(81)と面会し「パール判事は多くの日本人から今も変わらぬ尊敬を集めている」と語りかけました。

東京裁判の正当性に疑問を投げかけたパール判事と、A級戦犯容疑で逮捕されながらも後に釈放された安倍首相の祖父、岸信介(Nobusuke Kishi)元首相とは交友関係にあったといいます。

安倍氏との会談についてプロシャント氏は、「非常に喜ばしいこと。父の公正な判断が人々の記憶にとどまっていてくれることを誇りに思う」とAFPに語りました。また「戦争の片方の当事者のみを戦争犯罪で裁くことが可能だとは思わない」と父親の判定に同感を示したとのことです。

https://www.afpbb.com/articles/-/2271294

訪印中の安倍首相、東京裁判のパール判事の息子らと面会

 

全くの復讐劇であった東京裁判で、このお二人の存在はせめてもの救いでした。

 

 

 

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